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2016年3月

2016年3月25日 (金)

佐野千遥教授による、実数論の間違い、に関する質問の解答

ロシア科学アカデミー・スミルノフ物理学派数理物理学最高責任者:Dr佐野千遥教授のブログで、実数論が間違い(従って、確率論や多体問題、などなども間違い)という趣旨の記載があったので、コメントでその意味を質問しました。
その解答記事がアップされたので、その内容に関するコメントを書かせていただきました。

「極限とは何か?」などの話だと延々と不毛な議論が続くだけでしょうし、レーヴェンハイム・スコーレムの定理などの話までしてしまうと、話がややこしくなり過ぎて意味がなくなるし。ここら辺の話は難しいですよね(。_。;  数学を知ってる方なら問題点はすぐに分かると思いますが。
以下、コメント内容:
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どうも、私の質問にここまで丁寧にご解答くださりありがとうございました。
(twitter のHN のutubyou009 で質問させていただきましたが、同一人物である証明はできません。そこはご容赦ください)。
少々気になったことがありますので(もしかしたら、ケアレスミスがないか?という疑問を感じましたので)、少々意見を述べさせていただいてよろしいでしょうか。

ゲーデルの不完全性定理が扱うのは(自然数論が扱える程強力で)帰納的公理化可能な理論についてです。これは、適当な形式化を行えば、コンピュータで公理から得られる定理をすべて列挙できる、という性質を持っています。もちろん定理は無限個ありますから無限の時間が必要ですが。これは各定理のゲーデル数を考えれば、まさに再帰的数え上げ可能ということです。
今、問題になっていることは実数体の連続性の公理に関することですが、これは一階で表せるか?など煩雑なので、集合論で考えます。集合論の公理系はZFCが有名です(別にこれでなければいけない、ということはないですが)。これは一階述語論理で帰納的公理化可能な理論なので、便利ですし、当然実数全体の集合Rも含まれます。

本論に入る前に。帰納的公理化されるためには、使える記号は何かをはっきりと決め、論理式の長さ(文字数)は有限でなければなりません。

ここ、おかしいですよね? (どうも、ここがおかしい?と突っ込む人が少ないようで、少々がっかりしています) 無限小数というのは、数字を無限個並べたものですから、これを表に出すのはルール違反ではないか? 長さが有限にならないですから。
(続く)
--------
(続き)
そもそも「無限小数」とはいったい何か? 例えば、2.2360679… という無限小数は (a_n): 2, 2.2, 2.23, 2.236, 2.2360, 2.23067, 2.2360679,... という数列の極限値として定義されます(無限級数の和とする定義もありますが同値です)。各項は有限小数(従って、有理数)なので有限個の文字で表せる・・・と思ったら、「数列」自身が無限列なのでやはりおかしい。

そこでどうやってこれを有限の長さで表現するか。無限小数の小数点より左は有限個の文字で表せる(整数と見てもよい)ですからいいとして。小数点以下は、N1を正の整数全体の集合としたとき、「N1 から {0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9} への関数」全体の集合Fを考えればよいことが分かります。ちなみに、f∈Fのとき、f(n) は「小数点以下n桁目の数字」を表します。「〜から〜への関数」もそういう関数全体の集合も有限の長さの式で表せます。従って、無限小数全体の集合はZを整数全体とするとき Z✖F と考えることができます。これは実数そのものではなく実数の「表記法」ですから実数に翻訳する関数 Z✖F → R が必要ですが、これも有限の長さの式で書けます。さらにこれは全射(2つの表記法が同じ実数を表すかもしれないが、どんな実数もこれで表現できて漏れはない)。これで、無限小数の表記法の正当性が出てきます。
ちなみに、実数の数列全体の集合は N1からRへの関数全体のこと、とすればこれも有限の長さの式で書けます。
無限小数の正当性があるとしても、これを表(おもて)に出すのはどういうことか(表に出さなければ不便で仕方がないが)。これは、ZFCにRの元を表す定数記号(つまり無限小数)を追加したものと考えるのが自然です。各無限小数表記をひとつの記号とみなす、とも言えます。これは非可算無限個ありますから、これを追加したらゲーデル数のつくりようがない。しかし、数学だろうが何だろうが、実際に無限小数を直接書いた論文は存在しません。書くためには無限ページ必要ですから。概数を書くとか3.14... とかでごまかすか、何か別の方法で定義された実数を使うとか、πなどの記号で表すかなどなどです。ですからこれは基本的に表に無限小数が出てこない形に書き直せます。
(続き)
------
(続く2)
そこで、本論に入ります。
>root (5) = 2.2360679…. に最も近い実数をxとします。このxに∆x → 0のように、無限に接近する事は可能ですか?
root(5)はひとつの実数ですから、「もっとも近い実数」なるものは存在せず、x=root(5) でかまいません。それで無限に接近することは可能か? というと先ほど示した数列 (a_n) はroot(5)に無限に近づきます。
この極限の意味に関してはε-δ論法などを参照してください。

>再帰的数え上げ可能でなく
は、少々早合点です。というのは、root(5) は各桁を列挙していく手続き、つまりコンピュータで計算可能なので再帰的数え上げ可能と見なせます。((a_n) の項が列挙できる、ということと、nに対して小数点以下n桁目の数字を計算できることは同じです。全部数え上げるのは無限の時間がかかりますが、個々のnに対してa_nを計算するときはどんなに長くとも有限ステップで答えが出ないといけませんが)。
このような実数を計算可能実数と呼びます。
円周率πもコンピュータで計算できるので計算可能実数です。
計算可能実数ならば、コンピュータのプログラムは有限のメモリに入れられますので、最悪でも「このプログラムで計算できる実数だ!」と言えば、何とか有限の長さの式で表すことができます。ということは、無限個の数字を並べるなどという「表記不可能な『表記法』」を使わなくても何とかなるということです。
従って、有理数だけでなく計算可能実数の内、扱いやすいもの(扱いにくいものがあるので)も議論に加えてもよいと思います。
(続く)
------
(続き3)
問題は。「計算可能実数でない実数はあるか?」です。
実は、そういう実数は存在します。というか、計算可能でない実数の方が多数派です。
計算可能でない実数を無限小数で表そうとしても、それを列挙するコンピュータプログラムを作ることができないわけです。つまり、まさに再帰的数え上げ不可能なのです。言い換えれば、値は存在するが値を「計算する方法」は存在しない、という感じでしょうか。これは、無限小数のような特殊な表記法が必要になります。

>実数には附番することが出来ない
これは事実です。従って、Rは非可算無限集合である、と言われます。可算は附番することができる意味で、非可算はそれができないことです。

そして「計算可能実数でない実数が存在する」という定理(実際は非常に複雑だが有限の長さの形式的論理式)は、帰納的公理化可能なZFCから列挙可能である、というところがポイントです(実際は定義やら何やら沢山出てきますが本質的には列挙可能です)。

簡単に書くと「「再帰的数え上げ不可能な実数が存在する」という定理は再帰的数え上げ可能である」ということです。
で、この二つは論ずるレベルが異るので矛盾ではない、となります。

もっとも、私は数学者でも何でもないのでこのコメントに間違いが含まれているかもしれませんが。
----(完了)
以下は、佐野千遥教授による実数論の誤謬の部分の引用です。
−−−−(引用開始)
数学基礎論のゲーデルの不完全性定理の解釈については、色々と哲学的な説明をしている本が出版されていますが、ゲーデルの不完全性定理の証明の中枢はrecursively enumerable(再帰的数え上げ可能性)の概念に基づいています。

結論から先に申しますと、この「再帰的数え上げ可能性」に基づくと、連続実数なるものの数学的存在が証明できなくなります。

例えば、微積分学に於いて、微小差分を0に近付ける極限の概念を
lim の下に ∆x → 0
と書いて表しますが、ここでxはどんな連続実数値でも構わない事に成っています。

つまりどんな連続実数値をもった実数であろうと、必ずその値に無限に接近する事が出来る事を前提にしてしまっています。

ところで、果たして本当に必ず如何なる連続実数値にも無限に接近する事が出来るのでしょうか?

例えば、root (5) = 2.2360679…. に最も近い実数をxとします。このxに∆x → 0のように、無限に接近する事は可能ですか?

答は当然「否」ですね。

つ まり有理数でないから、循環小数ではなく、つまり再帰的数え上げ可能でなく、小数点以下で数字0,1,2,3,4,5,6,7,8,9の中のどれが次に出 て来るかは、予測が付かない問題が生じます。x軸の数直線上には所狭しとゴッチャ混ぜに“連続実数”なるものが犇(ひし)めき合っているので、連続実数に は附番することが出来ない分けです。

ゲーデルはこのように「無限」の概念をもっと厳密に扱わねばならない事を数学会に厳重に警告している のであって、ゲーデルの不完全性定理に基づき、連続実数なる数は存在証明が出来ない事となり、連続実数なる数は数学者の頭の中にだけ有って、実際の数学の 世界には存在しない数という事となります。

依って更に、この存在しない連続実数に基づいて築かれた確率論と微積分学とは、色々数学分野が有る中で、誤った数学分野という事になります。

その結果更に、この誤った数学の確率論と微積分を大幅に取り入れたカッコ付「正統派」現代物理学や経済学が、大混乱の誤謬“科学”に陥るのは理の当然となります。
----(引用終了)
・・・ はあ、疲れた。

2016年3月 4日 (金)

宇宙は実存している。

ええい! みんな、宗教戦争、やめろ!

今、ここに、宇宙があるだろ!?

一神教も多神教も無神論も、大体の人は「とにかく、今、ここに宇宙がある」ってのは認めるだろ?
だから、そこから始めりゃいいじゃないか!

とにかく、日本という国はとんでもないところにきてる。頭が痛い。もう奇跡しか道がない。

ハイデガー「存在と時間I」、読みにくいったらありゃしない。哲学なんか全然知らないけど、ちょっと中途半端だと思うぞ!

存在と存在者? 俺は、汎神論(汎宇宙論 (pancosmism))を元にして考えてみる。
これが、一番、科学と相性がいいからな。

汎神論では宇宙(大自然、森羅万象、何と読んでもいい)そのものが唯一存在するものだ。
ということは、宇宙が存在者で、宇宙の存在の仕方が存在の仕方だ。

ソクラテスとプラトンの違い

ソクラテスは実存、プラトンがイデアだ。
イデアというのは、とにかく調和を意味する。
実存というのは「かけがえのなさ」「個人個人が皆個性を持っていること」「個人の尊厳」だ。
即興だな。
だから、ソクラテスは一人一人に向けて対話していた。
プラトンはイデアだな。
どうも「パイドン」はソクラテスの口を借りてプラトンの思想を語っていたように思う。
ソクラテスは「無知の知」だ。「私は私が何も知らないことを知っている」
その彼が、死に際に霊魂の不滅とか言っていたとは思えない。それが語れたら、「ソクラテスは死を知っていた」ことになる。
ただ、淡々と無くなったように思う。「生きるのではなく、よく生きる」人だから、きっとよく生きた、という絶対の自信を持っていたんだろう。
だから、クリトンで、死刑の決まった牢獄でぐっすり眠ってられたんだろう。

さて、汎神論の話に戻る。
スピノザのエチカが有名だな。
これは幾何学だから、「宇宙のイデア」を表してたんだろう。宇宙の調和を表してる。

まあ、今の数学から見れば問題はいろいろあるけれど17世紀だし。今は、アインシュタイン方程式とかいろいろ美しい幾何学があるからいいじゃないか。

すると、足りないのは「宇宙の実存」だ。宇宙がまるで生きているように見える(生物だという意味じゃ無いぞ)、宇宙で起こることは1回1回違う、星々も沢山あるけどみんなきっと違うんだろう。

宇宙に「実存」があるか?
もし、宇宙全部で通用する法則があるとすると、宇宙はイデアのみで、中の人間も調和に支配される。
しかし、実際は、どんな法則も「適用範囲」ってのがあって、問題ごとにそこに合う法則を使うことになっている。どうやら、宇宙ってのは研究しても研究しても謎が広がる性質を持ってるな。
イデアの要素がいっぱいの数学だって、ゲーデルの不完全性定理がある。これはよく「人間の理性の限界が発見された」とか言われるがポジティブに考えようぜ。
要するに、数学ってのは、研究しても研究しても「謎」が必ず残るから、数学研究者は絶対に研究のタネに困らないことが「数学的に」証明された、と思おうぜ。
数学の「実存」だな。必ず謎が残る。

<信仰>
きっと、宇宙も実存的なことが入っているんだろう。
だから、宇宙の中の人間も一人一人違うんだ。個性的なんだ。宇宙が実存を持っているからその現れとしてだ。

<定義>
奇跡とは宇宙の実存のことである。

ざっくりこう考えようぜ。

さて、汎神論では、存在するものは宇宙そのもので人間はその中にいる。

ハイデガーは現存在とか言ってたな。

人間は現存在か? 人間が現存在だとすると、存在者(宇宙)のありとあらゆることを知っていないといけない。無理だな。人間は現存在になれない。

つまり、汎神論上での「現存在」はただ一つ。宇宙そのものということだ。

人間の知など宇宙の中ではチリと同じだ。

つまり、人間は「自分は何も知らない」ということを知らないといけない。ソクラテスだな。

すると、人間は存在しなくなってしまう。現存在は宇宙だけだからな。

だって、宇宙のことをすべて知ってるのは宇宙そのものだからな。

キリスト教では、神-自然-人 となってて、人が特別なのは神がいるからだ。しかし、汎神論では通常の意味の神ではない。すると、人も特別ではない。神をなくしておいて人が特別と思うってのは傲慢だな。つまり、人間という動物と見ないといけないな。

これは困ったぞ。どんどん人間の存在が小さくなってきた。

それじゃあ、いっそのこと、人間は存在しないように存在しないようにした方がいいな。
特別なのは宇宙だから。

じゃあ、人間の役割って何だろう?

機械的な作業は機械にやらせた方が効率的だ。
人間は、異常事態のときに応急措置を取る。その他その他
機械にやれないことをやるのがいい。つまり個性が求められるな。
人間の個性も宇宙の実在性の現れなんだろう。
だから、規格品じゃない人間が貴重だ。

じゃあ、私も、緊急事態だからハイデガーの例外になってみようか。

現存在ではないホモサピエンスだ。私は。

もう、私はできるだけ存在しないようにしないといけない。
知ることは少ない方がいい。
あまり考えこまない方がいい。
即興で、どんどんやるさ。自由意志ってのは宇宙の実存が人間に現れたときに出てくるものだ。

できるだけ、同じことを繰り返したりしないように。繰り返しは機械だからな。

実存を活かすためには自分の中の機械的な動きをなくしていかないと。

そうすれば、後は宇宙の法則が適当にうまくやってくれるだろう。宇宙が俺の本体だから(とはいっても、俺が宇宙だとか神だとかそういう意味じゃないぞ? あくまで宇宙の微小な一部分として俺がいるわけだからな。)

あ、大事なこと忘れてた。

スピリチュアル系の人々は、「人間と宇宙がつながる」とか言うけど、そうじゃない。

人間ってのは、宇宙のとてもとても小さい開いた一部分なんだ。宇宙から人間だけを切り取れないからな。

でも、これやるのはあまり薦められないぞ。

いきなりやると、下手すると精神障害を起こす。

まずは自己を確立してからの話だ。自分とは同じ人は誰もいないから、孤独との闘いだな「絶対孤独」だ。これで「個」を確立して十分基礎体力をつけてから、一度作った「個」を解体していかなきゃいけない。一歩間違えたら地獄行きだからな。

煩悩て、自分の心の中の汚れと思ってるだろ? 違うんだ。

人間っていうのは「煩悩の塊」を「私」と呼んでいるんだ。つまり、普段「私」と思っている精神部分はファンタジーなんだ。

絶対言っておくぞ!
誰も、俺の真似をするんじゃないぞ!

俺は例外だからな!

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