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2017年9月

2017年9月 1日 (金)

ナチスの手口が使われているのではないか?という「陰謀論的」思考は必要だ。

どうも、日本人の多くはナチスの脅威について過小評価しすぎるようだ。

アソウ副総理は「ナチスの手口に学んだらどうか」と失言し、学校の教材にヒトラーの「我が闘争」を用いることが可能とか、堀江氏がTVでヒトラーによく似た人物の描かれているTシャツを着たり。最近ではまた麻生副総理がナチスを引き合いに出して「いくら動機が正しくても、結果が悪ければ駄目」とか発言した。

世界、特に自由主義陣営にとってはこれは看過できない問題だろう。

第2時世界大戦直後から、#基本的人権 や #立憲主義 #国民主権 などの概念が急速に進化した。以前からこれらの概念は発達していたのだが、ナチズムやファシズムの台頭のために考えなおさざるを得なくなったのだ。

アドルフ・ヒトラーは、当時世界で最も民主的と言われたワイマール憲法下で(少なくとも見かけ上は)「合法的に」独裁者になった。

つまり、「形式的な合法性」では民主主義国を維持できないことが証明されてしまったのだ。これは世界を震撼させるに十分だ。

近代的な基本的人権はロックやルソーなどの思想を元に行われた18世紀末の市民革命からだろう。そこでは、自然権としての考えが色濃くあった。

しかし、19世紀には自然権的な思想は衰退していった。ヨーロッパ諸国にも人権保障を含む憲法が普及したがどちらかというと人権より「国民権」に近いものだった(外見的人権)。これは

  1. 合理主義思想や社会主義思想が発達し、自然権思想にとってかわったこと、
  2. 議会制が成立して議会(法律)による権利の保障という考え方が有力になったこと、
  3. 法学の対象を実定法に限定して、自然法的なものや政治的なものを排除して実定法の論理的解明を狙いとする法実証主義が広まったこと

などによる。

ところがヒトラーはそれでは不十分であることを証明してしまったため、初期の自然権的な人権思想が見直されることになる。

基本的人権は「人間が人間であることに基づいて論理必然的に享有する権利」という見方が一般的になった。

また、従来の「法律による権利の保障」が「人権は法律によっても侵害されてはならない」という「法律からの保障」が強調されるようになった。

これは立憲主義の考え方そのものも大きく変わった事を意味する。

さらに、基本的人権の保障は、国家の国内法による保障だけでは不十分と、人権を国際的に保障する動きが活発になった。

(情報源:芦部「憲法」(第五版)pp.76−79)

ナチスの出現は世界全体の構造まで変化させてしまったのである。

2度とナチスの悲劇を繰り返してはならない、というのが世界の常識である。

これを理解しないのは犯罪的と見なされるだろう。

実際、現行日本国憲法にも「ナチスの悲劇を繰り返さない」ための智慧が盛り込まれている

国民主権の原理、基本的人権の保障と憲法がこれを根拠にしていること、立憲主義の明確化(国民から公権力への命令の形が含まれている)。

特に注意すべきは現行憲法の13条だろう。

すべて国民は、個人として尊重される。

で始まるこの条文は「現行憲法の中でもっとも重要な条文ひとつだけ取り上げるとしたらどれか?」という答えは第13条である、という程重要な条文である。(法の「形式的な意味」だけでは独裁者の出現は防げないので実質的意味も考えなければならない。この実質的意味を考えるとこの条文が最も重いことになる。)

これは個人の尊厳の原理とも言われる。(個人主義とも言われるが、これは日本では利己主義と混同されやすい。まったく違うものなのに嘆かわしい。)

これは新しい人権などの根拠にもなる大事なものだが、ナチズムに対抗する意味もある。個人の尊厳の対極は「全体主義」だからだ。全体主義に対抗する機能も持ち合わせている条文だと言える。

従って、日本国の国民が基本的人権、国民主権、立憲主義、憲法の仕組みなどを十分理解しているならば、第2のヒトラーの出現など怖れるに足らない。そんなものは排除する仕組みがあるのだから。

またナチスの悲劇の恐ろしさを国民が理解していれば、「ナチスの手口に学んだら」などと発言する政治家は一瞬で政治生命を絶たれる筈なので、そんな気は起こさない筈だ。

とはいえ、そのような発言をする政治家が現役でいられる国となると話は違ってくる

現在、自民党憲法改正草案(これが改憲案としてそのままならないにしても、この考え方で改憲案が出るだろう)では、最高法規の一番最初にあって人権保障および最高法規性の実質的根拠となる第97条も削られている

憲法の基本的人権保障の後退は、封印できた筈の第2のヒトラーの出現の可能性が出てくるということだ。

さらに、第13条の「個人として尊重」が「人として尊重」に変わっている!

indivisualとpersonでは大きな違いがある。この違いだけで憲法の性格が全体主義的になってしまう。さらに幸福追求権も狭まるおそれが強い。

そして、前文の「日本国民は」が「日本国は」に書き換えられ、草案102条によって国民に憲法尊守義務が課せられる、ということは立憲主義が破壊されるということだ。(Q&Aには立憲主義を否定するものではない、と書いてあるが、この条文があるだけで立憲主義は機能しなくなる)。

他にも、ナチスの悲劇を繰り返さない仕組みがほとんど全部破壊されている

この草案は公開されている。それなのに国民は無関心である。

そうなると、本当にナチスの手口は実行可能である。あまりに異常な出来事だ。

実際に実行されているか?という絶対的な証拠はない。しかし、こういう場合は最悪を想定するべきである。実際にはどうであろうとも、ナチスの手口は実行されている最中である、という「前提」で物事を考えることはこの異常事態では大事になってくる。

日本がナチスの悲劇を繰り返したりしたら、世界は日本を許さないだろうから。

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