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2018年4月23日 (月)

超準的な自然数が必ずある集合論でBool値モデルとかやってみる

追記: 恥を晒すこともなかろうと一旦記事非公開にしましたが、「己の過ちをなかったことにするのは日本人の悪い癖だから、そのままにしておくべき」という意見をいただいたので復活させます。

以前、ZFまたはZFCに公理を追加してωに必ず超準的な自然数が存在するという条件をつけられることがわかった。とはいえ、これは超準解析の入門書の最初の方に出てくる話を集合論の言葉に置き換えただけなので、自明の話である。

言語として、2項関係記号∈と、定数記号νを持つとし、公理系としては

ZFC

に次の可算無限個の公理を付け加える。

Λω: ν∈ω

Λ(0): 0∈ν

Λ(1): 0+1∈ν

Λ(2):0+1+1∈ν

Λ(3):0+1+1+1∈ν

・・・

これは公理図式の形ではないが、帰納的に定義された公理系の条件は満たしている。

定数0、ωなどは書き換えることで∈のみの論理式で表すことも容易である。

この追加された閉論理式の集まりをΛとすると、たとえばZFC +Λは、ωに超準的な自然数νが必ずあるという条件がついたZFCとなる。

このような公理系を考えた理由は、こうすると、基礎の公理があるにもかかわらず、

ν∋ν-1∋ν-2∋ν-3∋・・・

という降下列は有限回で終わることはない、というパラドックスを作るためであった。特に大した話ではない。体系の外から見た場合と中から見た場合の区別をつければよい。

集合論においてMが集合論のモデルと言った場合に、普通はMの所属関係はV={x|x=x}の∈をM×Mに制限したもの(∈モデル)にする。(さらに推移的の条件をつけるのが普通)。

∈モデルでは、ωに超準元を持つことはできない。・・・が、まったく不可能というわけでもなさそうである。
別に何か数学に新しいものを追加する、などという気はないが、自分のための頭の体操としてZFC+Λにおいて強制法(Bool値モデル)を考えてみる。

ひとつの考え方は、強制法で「可算で推移的なモデルM」と言う時は、実は前提となる公理系の十分多くの有限個の公理を満たすモデルを言っていることだ。

Λが病的になるのはすべてを満たすモデルを考える場合なので、有限個の公理を満たすだけならばνは(十分大きな)自然数のひとつにすぎない。これは議論に影響を与えないのでΛは無視できる。

もうひとつの考え方として、Vが最初から超準的な自然数を持っている場合を考えることだ。

そこで、Vが満たす集合論としてZFC+Λを採用してみる。V |= ZFC+Λ。

Λと強制法の話は別の話なので本質的には議論は変わらない筈だが、何か病的なことが出てくるかもしれない。

ひとつ注意すべきことは、Vには「本物でない」有限が必ず含まれることが「保障」されることである。もしかしたら、体系の外から見たら非可算無限個の自然数があるかもしれない。

あと、本物の論理式をVの中にコード化するときの問題がある。ZFC+Λをコード化するとV内ではνは自然数のひとつにすぎないのでΛ(ν)の公理(これは本物の公理ではない)が含まれる。これは0に+1を「ν回」適用した項がνの元であるということを意味する。ところが自然数の加法の再帰的定義によりこれは、ν∈νと同等となる。これは基礎の公理と矛盾するので、ZFC+Λをコード化するとV内では「この体系は矛盾している」という結果が出ることを意味する。(これはZFC+Λが矛盾していることを証明はしない。実際、ZFCが無矛盾ならばZFC+Λも無矛盾である)。

基礎の公理があるため、集合の∈無限降下列は存在しない。必ず有限回のうちに空集合で終わる。・・・が、この「有限回」は本物の有限とは限らない。Vの中の自然数回である。従って、体系の外から見ると、無限∈降下列のように見える場合があることが保障される。

言語に定数記号νが入っているので、論理式の絶対性の定義が影響する。νを含まない論理式については問題ないが、含む場合はνはV内のνと同じとしなければならなくなる(ここら辺がこの公理系の美しくないところである。νは存在すれば無数にある無限大自然数のひとつにすぎないので、これを定数記号でひとつ特別扱いするというのは実に美しくない。こういうことは後で面倒を引き起こすことが多い)。

Bool値モデルを考えてみる。

cBa(完備ブール代数)Bに対し、B-name全体V^B の構成の仕方は同じ。ただし、注意すべきことはωの中にνという無限大自然数が入っているため、順序数全体のクラスOnの構造は普通に期待されるものと変わっていることである。

問題になりそうな定理がひとつ見つかった。

定理。MをZFC+Λの十分に多くの有限個の公理を満たす推移的な可算∈モデルとする。このとき、任意の半順序集合P∈Mに対してP-genericが存在する。

この定理は成り立つか?

この定理の中の「有限個」は本物の有限である。外から見ても有限でなければならない。しかし、可算モデルの「可算」はどうか?MはV内にあるので、この「可算」は可算濃度の集合という意味になる。ところが、体系の外から見たら非可算無限個の自然数がVにあるかもしれないのである。しかし、体系の外でも可算でないと証明に困る。

このことは、普通のブール値モデルの議論においても暗黙のうちに、ωの元を列挙した場合、体系の外側から見ても可算個の元があることを仮定していることを示している。暗黙の了解がひとつ見つかった。

まあ、ZFC+Λにおいてもωの元を外から見ても可算個にすることは不可能ではない(筈)なので、その仮定があれば問題はない。ただし、この場合、νの元を体系の外側から見た場合は可算無限個の元があることになる。

追記:これは私の勘違いだ(おそらく)。この定理の証明は集合論の中で行われるので、可算無限集合が体系の外から見てどう見えるか?は関係ない。通常の議論を集合論の中で行えば問題ない(たぶん)。そもそも、いわゆる有限の立場で「本物の可算無限」など言うのはナンセンスである。このような議論をどうしてもしたければ、超準解析の手法のように、標準的な集合論と超準的な集合論を同じ土俵に置いて、相互の関係がどうなっているか?を考察できるような枠組みを作ることが必要である。まだ、「超数学的議論」の意味が私にはわかっていない。

非可算無限個の自然数があった場合はどうなるか? ちょっと考える。

もしかしたら続くかもしれないし、続かないかもしれない。

こういうことは集合論の超準的な話と標準的な話をすり合わせてはじめてほんの少しでも面白い結果が出るものだから超準的なものだけをにらんでもまず大した話にはならないだろう。

たとえばνは本物の自然数をすべて含む。通常のブール値モデルの話では、たとえば標準的なω×ωの有限部分集合から2への写像全体からなる順序集合を考えるなどをする。しかし、νは標準的なωをすべて含むのでν×νから2への部分写像はこれを含むはずである。しかし、超準的なZFC+Λではνは有限順序数なので体系内では単なる有限ブール代数になり自明な結果になりそうだ。これを標準的な体系から見たら何が起こるか?とかをできたら確かめてみたい。

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