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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2017年6月28日 (水)

もし、俺の親父のようなタイプの人間が権力持ったら・・・

私は精神的虐待を受けて育った。

父の性質は次のようなものだった。

  1. 自分の考えと異る考えの人間は「悪人」か「駄目な人」であって、絶対に認めなかった。
  2. 何か問題があると、それは必ず他人が悪い。それは一貫していた。朝から晩まで人の悪口を言い続けた。TVに向かっても罵倒し続けた。母にも「馬鹿女〜、馬鹿女〜、馬鹿女ったら馬鹿女〜」など毎日罵倒した。電気料金が思ってたより高かった、というときがあったが、「これは電力会社が不正をしている」と信じ、何度も電力会社にクレームを付け、会社が検査の機械を取り付けて「やはり漏電などはありませんよ」と説明しても「あんたらが悪さをしてることは分かっている。料金を返せ」と怒鳴るだけだった。
  3. 何かあっても「責任を取る」ということは絶対しなかった。
  4. 人に謝ることは絶対にできなかった。自分の非は絶対に認められなかった。
  5. 子供には絶対服従を暗黙のうちに要求したが、言うことがころころ変わったので服従不可能だった。高校ぐらいまでは洗脳されていたので、親には絶対服従しなければならないと思い込んでいたが、不可能だったので自分には価値がないという信念が刷り込まれていた。
  6. 「男の約束」というのをやることもあるが、それは相手が絶対に約束を破らないという意味だった。ある人と「男の約束」をして握手までかわして、30分後に破ったところを見たことがある。
  7. それでいて、自分は正義の人間だと信じていた。

親父の生い立ちが少しずつわかってくると、親父も祖父に虐待を受けていたことが分かった。(母に母の問題もあったがややこしいのでここでは書けない。)

中学生の頃だろうか。親父は自転車でプールに俺を連れて行く習慣があった。兄弟もいたのだが、他の兄弟はうまく距離をとっていたので、常に俺と親父二人だった。辛かった。途中にかなり急な長い坂道があった。とはいえバスも通る道ではあるが。行きはまだ登りなので、ひたすら頑張って登るのだが、帰りの下りが問題だった。父は自転車でノーブレーキで下まで滑走するのが快感で大好きだった。そして俺にもそれをやるように無言で強制した。これは怖かったのでどうしても父より遅れた。自動車道である、さらに坂道の下は二股に分かれていた。つまり、自動車がわんさか通る道に坂の上から自転車が2台時間差でノーブレーキで斜めに突っ切ることになる。下手したら事故を起こして死ぬかもしれないし、もっと悪いことに他人を死なせたかもしれない。幸運なことにそうはならなかったが。
ある日、それをやっていたら白バイが付いてきて俺に注意した。父は既に先に降りていたので白バイは気づかなかったらしい。親父は戻ってきて俺を怒鳴りつけた。

まあ、手のひら返しは日常だ。

家は地獄だった。しかし、それでも被害が家庭内ですんだのは、父に「権力」がなかったからだ。もし、父に権力があったら、特に総理とかになったら大変なことになる。

この予想が外れればよいが。

2016年3月 4日 (金)

宇宙は実存している。

ええい! みんな、宗教戦争、やめろ!

今、ここに、宇宙があるだろ!?

一神教も多神教も無神論も、大体の人は「とにかく、今、ここに宇宙がある」ってのは認めるだろ?
だから、そこから始めりゃいいじゃないか!

とにかく、日本という国はとんでもないところにきてる。頭が痛い。もう奇跡しか道がない。

ハイデガー「存在と時間I」、読みにくいったらありゃしない。哲学なんか全然知らないけど、ちょっと中途半端だと思うぞ!

存在と存在者? 俺は、汎神論(汎宇宙論 (pancosmism))を元にして考えてみる。
これが、一番、科学と相性がいいからな。

汎神論では宇宙(大自然、森羅万象、何と読んでもいい)そのものが唯一存在するものだ。
ということは、宇宙が存在者で、宇宙の存在の仕方が存在の仕方だ。

ソクラテスとプラトンの違い

ソクラテスは実存、プラトンがイデアだ。
イデアというのは、とにかく調和を意味する。
実存というのは「かけがえのなさ」「個人個人が皆個性を持っていること」「個人の尊厳」だ。
即興だな。
だから、ソクラテスは一人一人に向けて対話していた。
プラトンはイデアだな。
どうも「パイドン」はソクラテスの口を借りてプラトンの思想を語っていたように思う。
ソクラテスは「無知の知」だ。「私は私が何も知らないことを知っている」
その彼が、死に際に霊魂の不滅とか言っていたとは思えない。それが語れたら、「ソクラテスは死を知っていた」ことになる。
ただ、淡々と無くなったように思う。「生きるのではなく、よく生きる」人だから、きっとよく生きた、という絶対の自信を持っていたんだろう。
だから、クリトンで、死刑の決まった牢獄でぐっすり眠ってられたんだろう。

さて、汎神論の話に戻る。
スピノザのエチカが有名だな。
これは幾何学だから、「宇宙のイデア」を表してたんだろう。宇宙の調和を表してる。

まあ、今の数学から見れば問題はいろいろあるけれど17世紀だし。今は、アインシュタイン方程式とかいろいろ美しい幾何学があるからいいじゃないか。

すると、足りないのは「宇宙の実存」だ。宇宙がまるで生きているように見える(生物だという意味じゃ無いぞ)、宇宙で起こることは1回1回違う、星々も沢山あるけどみんなきっと違うんだろう。

宇宙に「実存」があるか?
もし、宇宙全部で通用する法則があるとすると、宇宙はイデアのみで、中の人間も調和に支配される。
しかし、実際は、どんな法則も「適用範囲」ってのがあって、問題ごとにそこに合う法則を使うことになっている。どうやら、宇宙ってのは研究しても研究しても謎が広がる性質を持ってるな。
イデアの要素がいっぱいの数学だって、ゲーデルの不完全性定理がある。これはよく「人間の理性の限界が発見された」とか言われるがポジティブに考えようぜ。
要するに、数学ってのは、研究しても研究しても「謎」が必ず残るから、数学研究者は絶対に研究のタネに困らないことが「数学的に」証明された、と思おうぜ。
数学の「実存」だな。必ず謎が残る。

<信仰>
きっと、宇宙も実存的なことが入っているんだろう。
だから、宇宙の中の人間も一人一人違うんだ。個性的なんだ。宇宙が実存を持っているからその現れとしてだ。

<定義>
奇跡とは宇宙の実存のことである。

ざっくりこう考えようぜ。

さて、汎神論では、存在するものは宇宙そのもので人間はその中にいる。

ハイデガーは現存在とか言ってたな。

人間は現存在か? 人間が現存在だとすると、存在者(宇宙)のありとあらゆることを知っていないといけない。無理だな。人間は現存在になれない。

つまり、汎神論上での「現存在」はただ一つ。宇宙そのものということだ。

人間の知など宇宙の中ではチリと同じだ。

つまり、人間は「自分は何も知らない」ということを知らないといけない。ソクラテスだな。

すると、人間は存在しなくなってしまう。現存在は宇宙だけだからな。

だって、宇宙のことをすべて知ってるのは宇宙そのものだからな。

キリスト教では、神-自然-人 となってて、人が特別なのは神がいるからだ。しかし、汎神論では通常の意味の神ではない。すると、人も特別ではない。神をなくしておいて人が特別と思うってのは傲慢だな。つまり、人間という動物と見ないといけないな。

これは困ったぞ。どんどん人間の存在が小さくなってきた。

それじゃあ、いっそのこと、人間は存在しないように存在しないようにした方がいいな。
特別なのは宇宙だから。

じゃあ、人間の役割って何だろう?

機械的な作業は機械にやらせた方が効率的だ。
人間は、異常事態のときに応急措置を取る。その他その他
機械にやれないことをやるのがいい。つまり個性が求められるな。
人間の個性も宇宙の実在性の現れなんだろう。
だから、規格品じゃない人間が貴重だ。

じゃあ、私も、緊急事態だからハイデガーの例外になってみようか。

現存在ではないホモサピエンスだ。私は。

もう、私はできるだけ存在しないようにしないといけない。
知ることは少ない方がいい。
あまり考えこまない方がいい。
即興で、どんどんやるさ。自由意志ってのは宇宙の実存が人間に現れたときに出てくるものだ。

できるだけ、同じことを繰り返したりしないように。繰り返しは機械だからな。

実存を活かすためには自分の中の機械的な動きをなくしていかないと。

そうすれば、後は宇宙の法則が適当にうまくやってくれるだろう。宇宙が俺の本体だから(とはいっても、俺が宇宙だとか神だとかそういう意味じゃないぞ? あくまで宇宙の微小な一部分として俺がいるわけだからな。)

あ、大事なこと忘れてた。

スピリチュアル系の人々は、「人間と宇宙がつながる」とか言うけど、そうじゃない。

人間ってのは、宇宙のとてもとても小さい開いた一部分なんだ。宇宙から人間だけを切り取れないからな。

でも、これやるのはあまり薦められないぞ。

いきなりやると、下手すると精神障害を起こす。

まずは自己を確立してからの話だ。自分とは同じ人は誰もいないから、孤独との闘いだな「絶対孤独」だ。これで「個」を確立して十分基礎体力をつけてから、一度作った「個」を解体していかなきゃいけない。一歩間違えたら地獄行きだからな。

煩悩て、自分の心の中の汚れと思ってるだろ? 違うんだ。

人間っていうのは「煩悩の塊」を「私」と呼んでいるんだ。つまり、普段「私」と思っている精神部分はファンタジーなんだ。

絶対言っておくぞ!
誰も、俺の真似をするんじゃないぞ!

俺は例外だからな!